大沢俊介のブログ|SHITTAKA TOKYO

世の中を斜めの角度で歩く、大沢俊介の提供でお送りします。

2年間働いたBranding Engineerを退職します。

   

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2016年の12月をもって、Branding Engineer(以下BE)を退職することになりました。2014年の10月頃から働いていたので、約2年強働いていたことになります。(アイキャッチは現在のオフィス)

実は雇用形態はインターンなのですが、第二創業期となる時期に入り、代表の河端・高原と3人だけで働いている時期も長く、現在いる従業員の中では最も古株なので、社員面して過ごしていました。従業員数は20数名いたところに入るも、代表含め3名のみとなり、その後徐々に増えて現在は30名程度の組織になるという波乱万丈経験をしているので、せっかくなので振り返りも兼ねて経路をたどりたいと思います。

「エンジニアになろう」と思って出会い、マーケターになる

BEでは幅広い業務をなんでもやっていました。特にマーケティング系、広報系、採用広報系には全体的に関わっていて、統括っぽいこともしていました。一方、最初は「エンジニアになろう」と思って入ったのでした。

1期目の終わり頃、2014年9月23日の就活イベント『逆求人フェスティバル』で初めてBEを知りました。僕はなかなか尖った性格で、就活イベントでは全然モテませんでした。

そこに、BEは学生起業の小さい会社なのになぜか出展していて、なぜか学生インターンが人事っぽい雰囲気で面接をしていました。「君、うちに合うよ」と謎のかけ声をかけられ、不思議に思いながらもサイトを見ると「エンジニアの価値を向上する」というキャッチコピーと、エンジニアを教育して事業を回すモデルで事業を展開していることを知ります。

当時、まともに就活をしていた僕は、マーケターになるにもプログラミングやデータアナリスト的な能力は必要で、両輪の能力を持っていれば人材価値も上がる。将来はマーケティングをやるにしても、最初はエンジニアとして働くのは悪くないと考えていました。そこでエンジニアのインターン(しかも教育つき)に参加できるということに興味を覚えました。とりあえず、オフィスに遊びに行き、お金をもらいながらエンジニアとしての教育を施してもらおうという、世間知らずな雰囲気で遊びに行くことを決意します。

「エンジニアやる気ないっしょ?」

初めて遊びに行った時、そこはなぜか飲み会でした。カフェに呼ばれるはずが急に渋谷桜丘にある『うしごろバンビーナ』に呼ばれたのです。イベントの時にいた人事の人に加え、5名が着席していました。フランクな感じの会でもありませんでした。知っていた顔が2人だけいて、それはTwitterでよく顔を見ていたVCの佐俣アンリさんと、イベントのときに顔を見た代表の河端でした。面談にきたはずなのに経営陣?の飲み会でしかもアンリさんとおそらくシード期の投資を受けてから初の顔合わせに参加してしまいました。

しかしそれもまた、僕の興味をそそりました。「アンリさん知ってる。この人スタートアップ界隈の中で有名な人だ。スタートアップ界隈には関心があったんだ。」「よくわかんないけどノリはいいし、面白そうだ」心の中でそう感じ、僕はBEに入ることを決めていました。ちなみに代表の河端はめちゃくちゃ酔っ払っていて、ワイン片手にダル絡みしてきました。だるいと思いながら河端の煽りに合わせてワインを一気飲みしました。その会でアンリさんが「こんな会に急に呼ばれて普通にしていられるんだから平気だよ。採用しなよ」と言ってくれたのを覚えています。

そして後日オフィスに行くと、開口一番河端に「エンジニアやるきないっしょ? マーケっしょ」と言われ「ああ、まあそうですね。エンジニアになるというよりはエンジニアの力を持ったマーケターになりた・・」「ああそうだよな! ちょっと話行くからついてこいよ」と、勢いに負けて返事をすると、エンジニアのスキルは欲しい、という気持ちさえ伝わらない展開になってしまいました。そして、マーケターとしてインターンを開始することになります。

当時従業員は20名以上いたと思います。役員3名、エンジニアインターン十数名、他数名のチームでした。僕はそのチームに、初めてのマーケター(Web中心の)として参画しました。

「プロダクトを改良できないと、いいものをマーケティングすることができない。僕がやりたいことは売れないものを売るのではなく、売れないものを売れるものにすることだ」そう考えていたからこそ、エンジニアになることを考えていました。しかし、エンジニアになれずとも多くのエンジニアがいるチームなら問題ない、そう考えていました。

「創業期にいる唯一のマーケター」に

入社後、当初はストリートダンサーメディア「Terpsi」の編集・ディレクションを担当していました。メディアのコンセプト設計、企画、取材、広告営業、SEOのディレクション、SNSの管理、ライターの採用などメディア関連の業務は全般を担当しました。11月から業務を初めて、12月には数字は倍になりました。そのとき、CTOが退職することを知りました。

CTOが退職するということで、エンジニアのインターンも卒業していきました。同時に、それまで展開していたエンジニアの教育+受託開発モデルを切り替え、自社サービスをリリースをする方針に変わりました。Terpsiなども売却し、新しい事業に取り掛かることになったのです。当時の様相は高原のインタビューに書いてあります

そこが明らかに転機でした。「ちょっとインターン経験がある学生」だった僕は、会社の「創業期にいる唯一のマーケター」になってしまいました。実力不足に不安を抱きながらも、やめる理由もなかったのでそのまま居続け、その後の数ヶ月は代表2人とともにファミレスやカフェ、フリースペースなどを転々としながら(途中からはシャレーに入居して、それでも引き続き)新規事業立ち上げのための調査、企画、実行、撤退、挑戦、というサイクルを回していました。自分の人生の中で一番過酷で、崩壊しそうな時期でした。その時期を乗り越えて、エンジニアの転職サービスをリリースしました。思えばその半年で異常に詰められ、力をつけ、レベルも格段に上がったと感じました。

事業を安定させてからは進むべき方向も明確になり、順調に会社らしくなっていきました。マンションベンチャーにもインターンは入り、営業が増え、エンジニアも入りました。異常な量のドーパミンが出ていました。感覚も狂っていたと思います。僕の中でのBEのハイライトはあの時期です。

何でも屋さんとしての2年間

その後はマーケティング、採用、広報周りのことを幅広く担当していました。通期でマーケティング業務、おもに広告の戦略設計、企画、運用をしたり、広報のためにリリース作成、メディアリレーションをしたり、新卒採用サービスのイッカツがリリースしてからは新卒学生の紹介やイベント運営なども1年弱担当していました。自社エンジニアのインターン採用のために、年間200人近くエンジニアと会っていたり、事業広報のためには業界知識が不要と、エンジニア関連の知識はえげつなく収集し、2ヶ月間毎日イベントに参加し、わからないことはすべて調べ、エンジニアとあったらスキルレベルがある程度わかるようにもなりました。

自分の役割は何でもやる便利屋なんでも屋という感覚で、任せてもらえる業務はとりあえず引き受け、行動するということをしていました。そのせいでキャパオーバーになり死にかけることも何度もありましたが、今生きていられるのでいい経験だったなと思います。

最近は全社の広報、採用広報や事業部の広告管理などを担当させてもらっていました。広告管理は代理店の担当の方にも恵まれ、楽しくやっていました。プロダクトが成長の兆しを見せている中で抜けるのはもったいないかも、と思いつつも、次のステップが見えているので、代理店の方を信頼し、僕は抜けることを決めました。

採用広報もとても楽しく、企画記事の作成(これ反響もあって楽しかった)採用サイト制作やWantedly運用などを担当していました。採用サイトは僕の遅い仕事によってリリースが遅れてしまいましたが、デザイナーのいしけんさんの腕でかっこいいサイトに仕上がっています。本当はディレクターのたけちゃんと一緒に完成させたかったですが、それは事情がありできませんでした。Wantedlyはハイパー人材コンサルの石倉さんの力もあり、月100名以上の募集を集めることができています。

とはいえ、僕は退職を決めました。小さい組織なので大変なところも辛いところもありますが、それ以上に自分が進むべき方向性が明らかになった、ということが退職を決意するきっかけになりました。

フリーのライターになります。

2017年1月からは、フリーのライターとして仕事をしていきます。現在も数社、ライターとして記事を書かせてもらっていますが、そこを専業としていきたいと思っています。

ライターになるということは、小さい頃からの目標というか、憧れでした。ライターというよりは作家に近いかもしれません。ものを書いて、それを仕事にするなんて、世の中で一番かっこいいだろうと、当たり前に思っていました。世の中のすべての人がそう思っていると信じていたくらいです。今でも憧れの人は沢木耕太郎さん(「深夜特急」「テロルの決算」「一瞬の夏」などを書いているルポライターの方)です。他にも憧れの人、将来なりたい人を考えていると、ライターや作家しか考えつきません。ビジネス界であった人は優秀だと思う一方で、自分がそういう存在になって活躍するイメージは湧きませんでした。

22歳(来年の2月に23歳になります)のいま、ビジネスに進まずに物書きになる道を選び、受託ライターとしてだけではなく、ルポや作品性の高い文章を書き、売ることができるライターになることをしないと、後悔すると思いました。

このような『宣言』は元来苦手で、調子乗りやさんなので話すと満足する部分もあって今までは秘めていたのですが、僕にとっては大きなモデルチェンジといいますか、これは説明責任がありそうだなと思っていたこともあり、長文でブログを書くことにしました。

当面はフリーで働きますが、実力を高める、目標に近づくためには企業に入ることもあるかもしれません。まだまだ実力不足を痛感することばかりで、不安も少なくありません。ですが、自分の目標が見え、ここからがスタートだなと思う気持ちが強く、ワクワクもしています。

身近なところはあまり見えませんが、1月くらいは気合入れすぎず、自分のペースを作るところに集中しようと思っているので、よろしくお願いします。会えていないライターの方や起業家の方にもせっかくの機会なので連絡して会いにいきたいと思っています。それではよいお年を。

94年2月生まれ、雑司が谷在住のフリーランスライターです。レオパレス21やヤフーのオウンドメディア、テッククランチでのライターをやっています。あとはIoT/DIY/ライフスタイルなど幅広めの連載をやったりしています。エッセイスト志望
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